「価値観の違い」折合いの付け方
家でラジオを聞いている時に
なぜか気づいたらあることを考えていた。
離婚の理由で良く聞く「価値観の違い」について。
現時点での私的最適解を見つけた。
この考え方にたどり着いてから、夫婦間の価値観の違いに
ほんの少しだけ折り合いが付けやすくなった気がする。
ただし、この考えを理解するには順番が肝心である。
①価値観の違いでモヤるのは「信念がゆらぐから」と自覚する
価値観の違いと一言に言っても、
モヤッとするときとしない時があるのはお気づきだろうか。
つまり、価値観や文化の違い=無条件にモヤる
という直結の関係ではないということを理解するのがキモ。
ではどういう時にモヤッとするのか?
・同じコミュニティーにいる時
・すり合わせをしないといけない時
要は自分に影響がある、もしくはかなり距離が近い時の方がモヤッとしやすい。
特に代表的なのは夫婦。
私達は心理的距離が近いと自他の境界線が曖昧になりやすい生き物だ。
自他の境界線とは?
自分と他人の境界線のことを「バウンダリー」といいます。 バウンダリーにはさまざまな種類があります。 身体の境界、パーソナルスペースの境界(不快だと感じる人との距離)、持ち物の境界(誰の持ち物か)、責任の境界、思考の境界などなど・・。
(自他の境界線について、詳しくはまたまとめたい、、、。)
自他の境界線ははっきり分かれていれば健康!という単純なものではなくて、
生き物である以上、集団行動をとり社会生活を送る以上、
常に自他の区別をつけたりつけなかったりを移ろって生きている。
自他の境界線が曖昧になりやすい相手ほど、
考え方が違った時に私達は世界がゆらぐ。
地震のようにぐらぐらとゆらぐ。
このとき、今まで信じていたものが、
不確かなものに感じられたり、
否定されているように感じたり、
急に安全じゃない場所に放り出されたような心理状態になる。
実はこのときに「モヤっ」が発生しているのだ。
例えば、何事も丁寧に対応した方が良いと考えるAさんと、
人間なんだからヒューマンエラーがあっても
リカバリーすれば良いと考えるBさんがいたとする。
Aさんは今まで親から丁寧さ謙虚さを軸に、
他人に迷惑をかけないように教えられて育ち、
自分にも30年間、その価値観を課して生きていたとする。
すると丁寧に物事が出来ているかが、自分で自分を評価する1つの基準となり、
丁寧に出来たときは、自分に合格を出してあげることができる。
そして他人からも丁寧であることを褒められたりすると、
自分のアイデンティティーの中に丁寧さがぐんぐんと組み込まれていく。
Aさんは、丁寧であること、それが良しとされる世界で
自分というものを形作ってきた丁寧という国の住人なのだ。
そんな時、同僚や交際相手がBさんのような人だった場合。
”ゆらぎ”が生じる。今まで信じてきたもの基準にしたものが
通用しないことに、Aさんはおののく。
そして「丁寧」を馬鹿にされているような、
必要のないものと言われているような気分になる。
もはや自分を否定されていると同じぐらいの気分になってしまう。
この時、モヤっが発生する。
②価値観の違いをカルチャーショックと捉える
カルチャーショックとは名の通り、
文化にショック(衝撃)を受けるということ。
私達はカルチャーショックでびっくりしているのだ。
Aさんも本当はびっくりしただけなのだ。
あまりにも自分が大事にしてきた価値観だったので、
驚きが大きく”ゆらいで”しまっただけで、
根本はびっくりしているだけなのである。
その時生じたモヤッとを「相手のせい」と人に帰属するのか?
それとも「文化の違い」「自分のゆらぎ具合」という状態に帰属するのか?
ここまで読んでいただいた方はなんとなく、
状態に帰属する方がベターな感じがするのではないだろうか。
③そもそもカルチャーが違うから好きになった。
人というのは面白いもので。
似たもの同士で仲良くなるのは、なんとなくわかるのだが、
自分にないものを持っている人に惹かれて友達になったり、
付合ったり、結婚したりすることがある。
ちなみに私はこのタイプ。
だが、いざ結婚すると価値観の違いで別れるのである。
人のことは言えないのだが、不思議な現象だ。
簡単にいうならば、私達の場合は、
私がうさぎさんタイプ、夫がカメさんタイプで、
夫のマイペースでゆったりとした感じのおかげで
生き急いでしまった時にブレーキをかけたり、
心身をOFFモードにすることがしやすくなった。
しかし、急ぎたい時や計画性が必要と感じる時に、
夫のことを、こののろまカメが!!!!と思ってしまうのである。
(他にも多々価値観の違いはあります)
ただ夫に惹かれたということは、
自分の文化だけでは何か違う、他の文化も取り入れたいと
潜在的に感じてるんだと思う。
ウサギ文化というある意味偏りのある文化と
カメ文化という逆方向に偏りのある文化を融合させて、
バランスを取りたがっているような感覚とでも言おうか。
実際に私は自律神経乱れやすく緊張型でリラックスがたりない。
私の体と心は感覚的に、夫の文化も取り入れた方がいいことがわかっていたから、
魅力的に感じたと言わざるを得ない。
だから価値観の違い、異文化に触れた時には、
「あ、私は今カルチャーショックを受けている(びっくりしている)だけだ」
「別に夫は私のスタンスを否定しているわけではない」
「むしろカメ文化に触れて、慣れていくチャンス」
「新たな文明を築いて、ウサギとカメのいいとこ取りの文化を見つけよう」
「そう考えると、海外旅行をするように、色んな文化を知って味わえることは、
何かの文化だけに固執してしまう人生よりも楽しいことなのでは?!」という
めでたい思考になってきて、モヤッとした感情が落ち着いてゆき、
なんとなくフラットな気持ちで考えることができるようになる。
④コレを読んでもいまいちしっくりこないあなた
考えられる理由として大きく分けて2種類。
「そもそもコミュニケーションや関係性が不安定になっているパターン」
コミュニケーション自体が希薄になっているとこの作業は難しい。
これは価値観の違いの問題ではなくて、コミュニケーションや関係性の機能不全で
なにかとモヤモヤする、あきれている、話合いができなくなっている可能性が高い。
それが露呈するトリガーが価値観の違いなだけである。
そいういう関係性は、価値観の違いだけでモヤッとするのではなく、
夫がおならをしただけでもモヤッとしたりするかもしれない。
「対人スタイルのパターン」
・価値観の違いを受け入れないといけないと思って抑圧してしまう人
・価値観の違いを押しつけて支配的な態度になってしまう人
・そんなことよりわかって欲しい気持ちが強すぎる人
これらに当てはまる人の場合、自他の境界線が曖昧過ぎて、
取り込み過ぎたり、押しつけすぎたりする状態になっている。
客観的に自己内省できていない可能性が高く、
この記事はあまりしっくりこないと思うので忘れてください。
⑤まとめ
人によって落とし込み方はそれぞれだが、
この考え方の特徴は、
自他の区別をきれいにきっぱりすれば良いという考えではないところ。
よく、「夫婦でも友達でも、自分は自分他人は他人」
という謳い文句があるが、集団社会で生きている以上、
なかなかそんな魔法のように、「そっか他人は他人だもんね!✨」
と割り切れるようになるならみんな苦労はしていない。
ここでは自他の境界は関係性や自分のコンディションや出来事によって
移ろっていることを前提としており、解釈や文脈の捉え直しに焦点を当てている。
- ゆらぎが生じているという自己分析
- 自分の価値観と他人の価値観の違いをカルチャーショックと捉える
- びっくりしているだけ
- 人に原因帰属するのではなく状態に原因帰属すること
- 自分の文化(価値観)も相対的にみれば何かしら偏っているから
- 異文化に触れ楽しむ機会、自分の文化と織り交ぜながらバランスの取れた視点を得るチャンスと捉える
私はこの考えにたどりついてから少し生きるのが楽になった気がするので、
だれかの役に立つことを願う。